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Hair Do

 その日は朝から太陽がやる気を見せつけて、それに伴い部屋の温度も上がり、汗を拭いながら目を覚ました。汗でべとつく体をすっきりさせたいと眠気眼で洗面台に立ち勢いよく洗顔をした時、人生の中でも上位に入るほどの衝撃が私を襲った。

 鎖骨に近い首筋から一本の毛が生え、そして悠々とたなびいていた。

最初は影かなにかか、若しくは抜けた毛が首筋に汗で張り付いているのかと思い、払ってみたのだが、一向にとれる気配がない。まさかと、触ってみると毛から皮膚、そして皮膚から神経を通って、この場所に毛が生きづいているのだと知らされる。ちょっと引っ張ってみると体毛をいじるとき独特の感触が神経を刺激する。そしてようやく私は現実を受け入れた。いや、受け入れきれたのか自分でも分からない。

何故ならそんなところに毛が一本だけ生えていた人なんて見たことがない。

 毛は天使であり悪魔だ。

何千何万という毛に覆われ私達は生きている。束になった毛は紫外線や埃などの有害なものから人間を守り、天使の如く美さえも彩ってくれる。その一方で一本の毛というものは悪魔の側面を持つ。どんなに格好の良い洋服を着て飾ったところで鼻から一本毛がたなびいた瞬間、その人物は残念な人になってしまう。格好悪いよりも残念という概念がその人に与えるダメージは大きい。しかも格好良ければ良いだけその傷は増してしまう。なら格好悪い人の方がマシか?と問われればそれは違う。格好悪い人がそんな状態に陥れば『只々』残念な人に成り下がってしまう。ただの残念ではない。只々残念なのである。考えただけでも悍ましい。そこに陥った人がその後威厳を以て周囲と向き合っていけるのか甚だ疑問だ。

 毛は人間の歴史そのものだ。

毛は一朝一夕で生えることはない。人間の体は毛という存在からしてみれば地球と人間の関係性のようにとても広大な土地である。我々の先祖が猿から進化し、狩りから稲作へ進歩したように、頭、目元、口元、腕、胸、脚とそれぞれに散らばり、その地に根付き生きている。そのように毛は日々の暮らしを重ねていく中で、ゆっくりと力強く繁栄を続けているものだ。

 初めてこの世に生を受けたその瞬間も、初めて言葉を覚えた瞬間も、初めて好きな子に恋心を抱いた日も、初めて異性と契りを交わした瞬間でさえも、いつだって毛は私たちに寄り添い、そして守ってくれている。そんな毛を吾等人間は整え、ときには遊ぶことで毛の労苦を敬っているのだ。

 だから、だからこそ、強く思うのだ。何故、この首筋という孤高の地に一本だけ生えようと思ったのか?その場所に生えることでこの毛に、そしてそれを生やした自分に何かメリットがあるだろうか?アラフォーと呼ばれるこの年まで生きて今考え耽ってみたが、残念ながらこれといったメリットは見いだせない。

 そして私はGoogleで『ムダ毛処理方法』を検索した。

そこで社会を蔓延するムダ毛処理方法のあまりの多さに私は為す術もなく立ちすくんだ。女性は自分をよりよく見せるため、人とのふれあいを円滑に進めるために、こんなに地味で大変な努力をしているのだ。

 世の男性は女性に対しもっと敬いの心を持たなければいけない。

しかし今ネット上に乱立する情報一つ一つを検索していくには時間がどれだけあっても足りない。しっかりと仕事を持つ人が一本の毛に対し検索し悩むには払う代償が大きい。それが今の情報社会の怖いところだ。真剣に向き合えば出口はないに等しい。

 ならば答えはもう出ている。鋏を握り鏡の前に立ち自分の姿を見てみた。

そこには只々残念というよりはほんの少しだけ不思議な感じの自分が立っていた。

一本の毛が生えていたところでこの世の中に害という害は及ぼさないだろうが、仕事や飲みの席や、様々な状況で一緒にいる人が変な気を回さなくても済むように、ムダ毛処理は怠ってはいけない。それは社会人としての最低限のマナーだからだ。

 一本の毛をつまむ。改めて見ると意外と長さがある。今まで気づかなかった自分がまるで馬鹿に思えてくる程度の長さだ。ここまでこの毛は何かしらの大志を抱いて首筋に根付きひっそりと誠実に生きてきたのだろう。そう思うとなんだが愛おしさが込み上げてくる。しかし許しておくれ。君とは違う場所で会いたかった。君が生きるにはここはなんとも厳しい場所なのだ。

 もはや神の視点のような心情を巡らせ私は一本の毛を処理した。

 このまま彼をゴミ箱へすぐに埋葬するには忍びない。そう思った私は手のひらに乗せ眺め思った。彼はここまで成長するのにどれくらいの時間を要したのだろう。と、ふっと微笑んだ瞬間、口元から漏れた吐息で彼は吹き飛んで行ってしまった・・・フローリングの色に同化した彼を掬い上げるのは掃除機しかない。

 掃除機の音がこんなにも切なく儚く響くとは、人生とはなんとも可笑しなものだ。

 起床から始まった毛との闘いはこうして幕を下ろした。

 部屋の掃除を終えた私は朝の行水をするためにシャツを脱いだ。

自分の左乳首に一本の毛が生え、たなびいていた。

 毛との闘いはまだまだ続きそうだ。


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