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言の葉

外は台風がまるで自分の心を弄ぶかのように吹いたり止んだり、雨は雨で「もう降るなら降ってくれ」と白旗を挙げたくなるほどの焦らしを敢行している今、いつも大まかに考えたとしてもふざけたことしか妄想しない自分が、言葉というものに対して割と真面目に考えていたもので、ここに記しておきたいと思う。

言葉はこの世の中で最も強いものであると思う。言わば言葉はナイフであり、拳銃であり、核爆弾であると言っても過言ではないだろう。

なにはなくともこの言葉がコミュニケーションの礎となってこの世の中を回していくのだから、人間「言葉」があってなんぼというところだ。

今も昔も「呪いの言葉」という存在に人は右往左往し、悩み、憤り、喜び、哀しみを繰り返してきたりしているが、そもそも「呪いの言葉」以前に言葉そのものが人を縛る呪であるはずだ。例えば名前もそうだ。「自分は○○○である」という呪に生まれながらにしてかかっている。言葉がなければ「○○○」だとどう呼んだらいいのかもわからないし、何故そんな途方もないことをしているのか理解に苦しむだろう。いや、苦しむ以前に何も考えないか。

ともあれ、言葉がある場所にはそんな呪にかかり、様々な感情と思惑が入り乱れる。

そんな毎日のなかで自分は嘘をつく。何も考えていないからというわけではないが、様々な状況で嘘をつく。これも言葉があるから故に起きる事象であるとは思うのだが、それ以前に嘘はいけない。

嘘は人を傷つける。でもこれが本当にややこしいことではあるが、嘘にも優しい、優しくないというのがある。

自分は舞台関係以外にも仕事をしている。介護の仕事である。これは本当の話である。

介護職を始めるまではこんなこと絶対に出来ないと思っていたはずが、かれこれ四年以上近く勤めている。そして自分が勤める施設に来てくださるお爺ちゃんやお婆ちゃんと毎日の様に触れ合っているのだが、今現代社会でもなにかと話題の的になる認知症という病気と毎日の様に向き合っていくなかで、どうしても嘘をつかなければいけない瞬間がでてくるのだ。

認知症とは主に、いろいろな原因で脳の細胞が死んでしま足り、働きが悪くなったりしたために様々な障害が起こり、生活するうえで支障が出ている状態のことを指す。

これは実際に体験してみなければ分からないことなのだが、認知症を発症した人というのは軽度重度と分かれるが、言葉を口にした瞬間にすべてを忘れていってしまう。

そして分からなくなることに対しての不安に押しつぶされ情緒不安定になる方が多数いらっしゃる。

例えば帰宅願望という症状がある。これは文字を読んで分かって頂けると思うが、単純に説明するなら家に帰りたがることを指す。そこには「家に帰れない=家族に捨てられてしまう」という恐怖に捕らわれて、まるで狂人のように暴れたり、ずっと泣き伏せり叫んだりしてしまうことだ。

そんな人と対峙するとき、自分はなるべくその人がゆったりとした気持ちで過ごせるように嘘をつく。「明日帰れるよ。」などの言葉を吐き嘘をつく。

認知症という病気はどうしたって物事や記憶が指から零れ落ちる砂のように、無くなってしまう。

たった今放った言葉ですら忘れていってしまう。(そうではない人もいるが)

一瞬一瞬に更新されていく記憶のアルバムのなかで、分からないということすらも分からなくなっていってしまう。分からないというのは恐怖以外の何物でもないだろう。

ショッカーに拉致され仮面ライダーになってしまった本郷猛もショッカーに何をされるか分からないという恐怖に怯え、かの名セリフの「やめろぉ!やめろぉ!ショッカー!」みたいな発言をして抵抗していたのだと自分は考える。自分に重ね合わせると分からないという恐怖が心を蝕んでいく。だから落第生と言われる子供たちは極度に授業で指名されることに対して嫌がることをするのだろう。

そんな想いと、その忘れてしまう認知症の症状を逆手にとって、せめて自分といるときくらいは安心してこの瞬間を過ごしてほしいと「なんでこんなところにいるんだ!」「家に帰りたい!」と叫ぶ彼らに「大丈夫。明日の夕方に家に帰るよ。」と嘘をつく。

悲しいが介護する側も人間であって、仕事に追われてしまうと一人ひとりを確実に見ていられるほど余裕もなくなるし、正直何度も同じ言葉を何度も何度も、それこそ一日中放ち続けられると、イライラもしてきてしまう。

お互いがよりよくいられるようにと、自分の勝手な判断で嘘をつく。

ある時、ずっとそのような形を以て何年も接し続けていたあるお爺ちゃんが病名は伏せるが、急性の病気により、意識が飛び、バイタルも急激に下降していき、今まさに自分の目の前でその命が終わりを迎えようとした。

自分は介護士で看護の資格は持っていないため、できる事とできない事がある。

まずは救急を呼び、家族に連絡を入れて、それが到着する10分~15分の間、できる限りの心肺蘇生法とを実施しながら、ずっとそのお爺ちゃんの名前を呼び続けた。

その時も、自分は思いつく限りの嘘を並べて叫び続けた。

お爺ちゃんの好きだった家族のことや、お爺ちゃんの口癖についてや、お爺ちゃんがよく好きだと話したことについて、少しでも今いたこの世界に戻ってきてくれるようにと。

のちに救急が来て、自分も救急車に乗り、一緒に病院に向かった。

結果、お爺ちゃんは自分がついた嘘にツッコミをいれることも何もしないまま、搬入された病院で、その長い生涯に幕を下ろした。

ご家族が到着したとき、自分は謝った。

自分がもっと見ていればという気持ちと、言いはしなかったがそのお爺ちゃんに接するときに、少しでも気持ちを落ち着けられるようにという理由で嘘をついていたことに。

家族のかたは「最期まで看取ってくださり有難うございます。」との言葉をくれた。

でも正直自分にはまるでピンと来なかった。その後も仕事がある為施設に戻って暫くしたとき、お爺ちゃんと最後に話した会話を思い出していた。

「俺はいつ帰れるんだ?」と不穏な状態で聞くお爺ちゃんに自分は、

「大丈夫。明日帰れるよ。」と言った。

それを聞いたお爺ちゃんは「本当か?よかった!」と笑顔を見せていた。

百近い年数を生きてきて最後に交わす言葉がこんな何気ない会話の何気ない自分の嘘だったのか。

何だか悔しくなって、自分は泣いた。

なんという言葉にすればいいのか未だに分からない。

でもあの時お爺ちゃんは本当に喜んでいたと思うのだ。そんな何気ない言葉一つで心をこんなにも豊にしてくれるのであるならば、最期の瞬間自分に寄り添ってくれる言葉はたとえ嘘であったとしてもいいような気がした。

あくまで勝手な想いだが、自分が話した嘘は優しさから出た嘘であったと信じたい。

そう記したことでほんの少し自分の心も安らぐなんて、いやはや言葉はなんて恐ろしいんだろうか。


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